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権兵衛トンネル開通

【権兵衛開通日特集2】おらが谷の宝物 雄大な山容 霊峰・御岳山 [伊那毎日新聞]

広がる交流 見どころと味


【権兵衛開通日特集2】おらが谷の宝物 雄大な山容 霊峰・御岳山 [伊那毎日新聞]
開田高原末川より望む御岳山 「霊峰木曽御嶽の夜明け」(撮影/小野行彦写団・渓森木曽会長)
(2006/2/4掲載)

 「木曽のナァー なかのりさん 木曽のおんたけ ナンチャラホーイ 夏でも寒い ヨイヨイヨイ」

 民謡木曽節にも歌われる木曽の象徴、御岳山(3067メートル)。岐阜県境にすそ野を広げ、その姿は雄大にして威厳を感じさせる。

 霊峰と呼ばれ、山岳信仰御嶽教の「おやま」として、古くから信者たちの畏敬(いけい)を集めてきた。室町時代、精進・潔斎した修験者たちは、修行の場として山に登った。江戸時代には、覚明、普寛行者が登山道を開き、一般にも親しまれる山となった。

 山頂直下の湖沼群は神秘的。二ノ池は、国内では最も高い標高2905メートルにある湖。深いブルーの水をたたえる三ノ池の水深は、13・3メートルにもなる。

 ふもとは薬草、薬木の宝庫。「木曽の百草」は全国に広まり愛用者は多い。

 周辺には、数多くの温泉や宿泊施設、スキー場などが点在し、四季を通してさまざまな表情を見せながら、旅人を迎えている。

キャプション

開田高原末川より望む御岳山=「霊峰木曽御嶽の夜明け」小野行彦写団・渓森木曽会長撮影

日本の桜三大名所「高遠の桜」


日本の桜三大名所「高遠の桜」
観桜期には全国から観光客が集まる 高遠城址

 伊那谷が誇る春の風景は高遠の桜。奈良県の吉野山、青森県の弘前城址(し)と並ぶ「日本の桜三大名所」に数えられる。4月上旬、高遠城址公園には、1500本のコヒガンザクラが咲き乱れ、05年には約31万人の観桜客が詰め掛けた。

 この桜は、明治維新の廃藩置県で城が取り壊された後、荒れ果てた城址を再興しようと、旧藩士たちが1875(明治8)年に移植したのが始まり。花の赤味が濃いのは、戦国時代に織田軍の攻撃の前に壮烈な戦死を遂げた仁科五郎信盛以下2000人の武将の血が、土に染み込んでいるからとの伝説もある。

 城址二の丸には、医師内田幸蔵が1934(昭和9)年に建てた「天下第一桜」の碑があり、70年も前から、この地の人々が桜を誇っていたことがうかがい知れる。

 城址から徒歩20分のところには花の丘公園があり、4月下旬まで八重桜など3000本の桜が楽しめる。そのほか、伊那谷には桜の名所が随所にある。

ほお葉巻き


ほお葉巻き
木曽の味 ほうば巻

 木曽谷の伝統の味に「ほお葉巻き」がある。

 米の粉をこねた皮にあずきあんを包み、朴(ほお)の葉でくるんで蒸し上げる。月遅れの端午の節句のかしわもち代わりに、なくてはならない和菓子だ。

 朴の葉の独特な香りが染み込んだもちは、殺菌作用により数日間保存が可能。朴の葉が使いごろになる初夏から、全国各地に発送される。

 木曽は和菓子文化の栄えた場所としても知られ、今でも製造・販売が盛んだ。

ローメン


ローメン
伊那の味 ローメン

 伊那谷の味の代表は「ローメン」。蒸しためんにマトンとキャベツの具材が入る。全国で上伊那地域にしかないとのこと。提供する店によって味が異なり、定型がないことが好奇心をかきたてる。犖義牒瓩噺討个譴2つの店にちなんで、焼きそば風の「潮」派と、スープの多い「萬里」派の2タイプがある。酢、ニンニク、七味トウガラシなどで好みの味に調整して食べるのも独特の作法。飲み屋から一般食堂のメニューに広がった庶民の食べ物だ。

権兵衛峠 昔を訪ねて


権兵衛峠 昔を訪ねて
宮脇昌三著「権兵衛峠」

 「木曽へ木曽へとつけ出す米は、伊那や高遠の余り米(涙米)」

 伊那節にこう歌われているように、権兵衛峠は伊那と木曽との物流を支えた峠道だった。

 古くは鍋掛峠と呼ばれ、かろうじて人だけが通えた山道を、牛馬の通う道に切り開いたのは、木曽神谷(現木曽町)の百姓権兵衛(後に古畑という苗字を許された)。1696(元禄9)年のことだ。

 谷が深く水稲栽培が困難な木曽の地に、伊那の米を運び込みたい。権兵衛はじめ木曽の人々の願いは明確だった。だが、権兵衛から話を聞いた伊那の人々は逡(しゅん)巡した。

 中仙道は当時の基幹街道で、参勤交代の行列が往来する際には、沿道の農民は牛馬とともに助郷として借り出された。伊那から木曽に牛馬の通う道が開くと、伊那までこの助郷が課せられることになるのではと危ぐしたのである。

 権兵衛らは、箕輪郷の人々と相談し、助郷への参加は求めない旨の約束と引き換えに彼らの協力を得て、渋る高遠藩や周辺地域を説得して回り、ようやく道が開かれたという。

 開通後も、冬場の峠越えは困難を極め、伊那の若者と恋仲になった木曽宮の越の薄幸の女郎が、男に会いに峠道を登ったが、峠を越えられず息絶えたという悲しい言い伝えも残る。

 こうした歴史は、国語学者の宮脇昌三著「権兵衛峠」(伊那毎日新聞社刊・絶版)に詳しい。

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